中学1年で天鳳を始め、高校に上がる頃には既に有名配信者に。
18歳の誕生日と同時に高校を中退してその日に麻雀「さん」グループの求人に応募。
以後、4年に渡るメンバー生活間にギャンブルで8回パンクし借金を背負うも幾度となく復活し、ポーカーでひと財産を築き上げる。
現在はポーカーの海外ライブカジノに足を運ぶ傍らで個人的にポーカーコーチング業もしている。
今連載は若くしてギャンブルで生き地獄を味わったこの男の波乱万丈な人生に迫ろうと思う。
雀荘メンバー時代のオラゴン氏
動画の後、新宿のとあるカフェに移動してお話を伺うことに。

──本日はお忙しい中ありがとうございます。早速ですが、雀荘メンバー時代の経歴を教えていただけますか?
その前になのですが事前にお伝えした通りこの後渋谷で一件ポーカーのコーチングの予定が入っているので、
長引いた場合その後に再びお話させていただくことになると思います。
──承知しております。一日密着取材ですのでオラゴンさんさえよければこちらは一向に構いません。
わかりました!よろしくお願いします。
僕が最初にフリー雀荘で働いたのは有名チェーンの『S』グループです。
18の誕生日に電話しました。高校生だと18になっていても働けないので、親に話して退学する事に。
高校には麻雀のしすぎで全然行ってなくて卒業出来る見込みがなかったので。
次の日面接で、
『僕は天鳳八段なんですよ!』
って言ったら『はい?』ってわからない顔されたのはショックでした。
入社した時30円もなくて「よっちゃんイカ」が好きなんですけど、それも買えないのが記憶に残ってます。
当時実家住まいで履歴書代も電車代も全部親に出して貰ってたので。
黒のズボンは自前というのを忘れていて買うお金が無かったので初日からアウト切ってして買いに行きましたね。
可愛がってもらってたと思います。
ただ当時から鼻っ柱が強かった為麻雀の内容で度々トラブルを起こしました。
従業員規制で東場は3900以下は鳴いてアガったらダメだったんですけど、普通に自分はアガってたので。
──3900以下は何とも厳しいメンバー規制ですねw
自分にも多少非はありました。
ただ僕はそれが嫌で入社約2か月で辞めましたね。
働いていた間に当時は福地先生や漫画家の城埜ヨシロウ先生も通っていた関内の高レートの場にも何度か足を運んでいましたけど、全然儲かりませんでした。
その後4か月ぐらいのニート期間に貯金は競馬で全て負けて無くなりました。
無くなってすぐ『S』の元同僚からやりあってた上司が異動したから戻ってこいと言われて戻ることに。
後半は夜の責任者として2年ぐらいやったと思います。
ポーカーとの出会い

──その後にポーカーを覚えたきっかけはなんだったのですか?
『S』を辞めた3か月後に、新宿区に引っ越して20の時に新宿歌舞伎町の『さくら(旧だんでぃ)』で働き始めます。
初めての東風フリーで初めは若干苦戦しましたが、すぐにアジャストして勝てるようになり、そこそこお金も貯まりました。
そんな中ある休みの日にふとなぜかお客で麻雀が打ちたくなって客打ちで新宿東南口の『ダンディ』に遊びにいったんです。
そこで当時働かれていた堀内正人さんに
『オラゴンさんですよね?今から身内でポーカーやるんですけど、僕もやるの初めてなんで一緒にいきませんか?』
となぜかお誘いいただいて初めてポーカーをプレイしたんですけど
それが滅茶苦茶面白くて、それからは麻雀そっちのけでポーカーのことばかり考えていましたね。
ポーカーがやれるならどこにでも行っていました。
麻雀と競馬しか知らなかった自分にとって、ポーカーの刺激はとても強かったです。
──ということは堀内さんと同じ日にポーカーを始めたと?
はい。ポーカープロへの転向を考えるのに時間はかかりませんでした。当時負けまくってましたけどねw
ポーカーに本腰を入れたいと思い、もはや12時間拘束される麻雀店はやめようと『さくら』は1年で辞めました。
ただ麻雀でそうだったように自分には天武の才あると信じて疑わなかったので、
ポーカーもすぐ大成するだろうと勉強は戦術本を少し読む程度であとはオンラインとリアルでひたすら実戦を積んでました。
でも全く勝てなくて。
何かこのゲームは麻雀とは違うなと気付き始めました。
ついでに競馬でも全財産賭けて負けて、カード生活です。
コインランドリーすら行けなかったですね。
その次の週も再起を賭けて知り合いの雀ゴロに負けた時の利子や返済期間などの話をつけて、
50万円借りて競馬に突っ込んで再び負けました。
やむを得ず今度は意地でも金を貯めようと思い面接を受けて『フォーシーズン』グループに入社します。
2か月程度『フォーシーズン』で働いた後、堀内さんとポーカーとの出会いの店でもある
グループ内店舗の『ダンディ』に移籍し10か月で400万円の貯金を作ったのちに退社しました。
──凄いですね。そんなに稼がれていたのになぜ辞められたんですか?
ポーカーがかなり上達した自覚があったので海外のカジノで自分の実力を試したかったからです。
『ダンディ』時代に自分同様ポーカーに熱中していた堀内さんに
『ポーカーエクイラボ』というポーカーのPCソフトを用いた期待値計算勉強法を教えてもらったときは目から鱗が落ちました。
『スノーウィー』(ポーカーのAI)を教えてもらったときは目と歯が全部落ちましたね。
そんなわけで雀荘を辞めた2日後に100万円持ってフィリピンに旅立つわけですが、
その後再びポーカーの大地獄が待ち受けていました。
──大地獄ですかwなにがあったんですか?
それをお話させていただきたいのですが、すみません、時間がきてしまいました。
一旦渋谷に移動してその後でも大丈夫でしょうか?
──承知しました。また後ほどお願いします。
後半へ続く

というわけでオラゴンさんとともに渋谷へ移動したへんしゅーちょー。
コーチングの現場も拝見させていただきました。
この記事を書いた人
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当ブログの編集長。とある東風のフリー雀荘でメンバーをしている。
漫画、読書、映画鑑賞が趣味のありふれたおっさん。
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